カレーの惨劇

 

1942年4月、イギリス本土決戦をひかえ、カレーには、ドイツの精鋭部隊をはじめ、はる

ばるロシアからやってきた装甲部隊がひしめきあっていた。           

戦車だけでも3000両はゆうに越え,兵員に至っては30万人の大部隊である。    

ヨーロッパを完全に手中におさえ、ロシアまでも隷属させたドイツにとってはイギリスに圧勝

するのは誰の目にも明らかであり、問題はいかに完勝するかに皆の関心は向いていた。                                  
前衛を勤める部隊はロシア製T−34がほとんどであるが、ドイツ軍精鋭のSS装甲師団トー

テンコフ、ダスライヒ、エリート師団のドイッチェランドも含まれていた。     

まもなく彼らを運ぶ輸送艦が沖に集結するはずである。               

フランスの漁船をも徴用し、あらゆる手段を使っても、対イギリス上陸作戦を敢行する予定に

なっている。                                 

しかしこれが誰も予想だにしない結果になってしまった。                

4月16日、ドーバーは濃霧に包まれていた。                    

見張りに立っていたミハエルは、靄の中に船らしき影を見た。            

「輸送艦が到着すのは今日だったかな?一応上官に報告をいれておくか・・・」      

半ば呆け気味に司令部に向かって歩き出すと、沖合いから雷が一斉に落ちたのではないかとい

う閃光に我が目を疑った。                          

砲弾は音よりも早くカレー海岸を襲った。

数秒送れてとどろく轟音にこれが艦砲射撃であることに気づいた。                               
海岸に寄せてあった舟艇が片っ端から吹っ飛び、徐々に海岸内部にも砲撃弾が落下し始めた。                                      
眠りをむさぼっていた将兵は、強制的にたたき起こされる。              

いや起こされたものはまだいい、何も分からぬまま天昇していったものも多数いた。                  
事前にこの連合軍の作戦がキャッチできなかった事は,戦後の七不思議の一つではあったが慢

心以外の何者でもなかったのだろう。                     

海上は,イギリス軍はもとより,遥々太平洋から回航された米国戦艦群で埋め尽くされていた。                                      
カレー海岸は一方的な殺戮場と化していた。                    

なす術もなく右往左往する将兵の頭上に容赦なく巨弾が降り注ぐ。          

1メートルおきに落下しているのではないかという砲弾に、飛び込む塹壕すらない状態で生身

の人間が堪えられるはずがなかった。                     

陸戦では如何に強力なタイガー戦車だろうと紙くずのように跡形もなく吹っ飛ぶ。   

16インチ砲の着弾にT−34が数両まとめて転がる。               

とにかく少しでも離れようと内陸に向かって走り出した装甲車両や将兵は、次第に奥地に照準

を合わせる艦砲射撃に追いつかれ、特例は許さずとでも言うように先に逝った同僚と同じくミ

ンチに変わる。                             

司令部はあわてて爆撃機を要請するがこの濃霧ではままならないだろう。       

カレーの海岸は戦後、最大の凄惨地として記録される。               

砲撃は1時間にわたって行われたが死者15万、破壊された車両は戦車980両 戦闘車両1

500両 大砲1000門にも及んだ。実に上陸作戦参加車両の3分の2、兵員は半数を一時間

の砲撃で失った。                                  

攻撃をまったく察知できなかった事でヒトラーの怒りと憎悪は沸点に達していた。   

主だった首脳の更迭はもとより,責任者の公開処刑まで行ったほどである。      

これによる英国上陸作戦は未定のまま延期されることになる。  

大きな損害を出した枢軸国軍であるが、今後作戦を再開するにせよ、大きなウィークポイント

を持っていた。                               

海上兵力である。                                

陸軍国家であったドイツには個艦性能には優れた戦艦を保有はしていたが,英米に対抗するほ

どの海上戦力は持ち合わせていなく、盟友イタリアにおいても二戦級、ロシアにいたっては戦

力と呼べるものもなく上陸中に攻撃を受けた場合,これを阻止する事はまず無理である事が懸

念材料となっていた。                       

空からの援護で乗り切きれると考えられていたが、航空機が援護できない状態、まさに今回の

ごとき天候という神のいたずらに抗う術を持たなかったのでる。                      
海峡幅数十キロしかない海が千里に匹敵する程、遠い世界に思われた。        
 
太平洋はもはや捨ててかかっていた米国は、その海上戦力の5分の4を大西洋に集結させ,

全の迎撃体制を整えている。                          

なんとしてでも上陸作戦を実施したいドイツにとっては、慢心を諌めかつ完全な情報秘匿によ

って,連合軍の戦力の虚を突く事に神経を集中させねばならなかった。

 

W号戦車
ドイツの中心的戦車。  75ミリ砲を搭載
タイガー戦車
文字通りドイツを代表する最強戦車。 88ミリ砲搭載

日本空軍

激戦が繰り広げられていた欧州であったが、極東においては一時的な安定期に入っていた。

欧州派遣団が持ち帰った貴重な兵器や防衛システムが綿密に調査され、自国の兵器生産に大き

く貢献していた。                              

児玉次郎が特に持ち帰かえったドイツのレーダー管制システムを前に、八木右作は狂喜した。                                      
「なるほど〜うんうん・・・そうかぁ、これらはこういうふうに連動して・・・」       
専門的な用語は次郎にはよくわからなかったがどうやら右作の開発した電探と組み合わせたシ

ステムを考えているらしい。                         

「欧州では管制システムが発達している。 電探基地からの情報をセンターに集約し、各航空

基地、対空砲基地に情報を伝達、効率的な迎撃体制を組むんだ。                  
今まではどんなに優秀な電探で敵を捕らえていても情報を一元化できなかったところに、有効

な作戦が立てられなかったが、これからは戦いの様相が変わるぞ!」        

右作の意気込みに次郎も押され気味だったが、何はともあれ、これからの戦いはもっと高い次

元になるらしい。                               

次郎は天才的な右作の才能に軽く嫉妬した。

 

艦本本部長、井上成美中将のもとに2人の佐官が呼ばれていた。            

1人は欧州派遣団団長としてヨーロッパの戦いを経験した源田実大佐、そしてもう1人は右足に

義足をつけ片腕ももう使命を終えたかのように痩せ細ってしまっていたが、その鋭い眼光は只

者ではない生気をみなぎらせていた。                    

戦闘指揮の神様と歌われた加藤健夫大佐である。                 
 
井上成美が口火を切った。                            

「君たちの意見はわかった。要するに、陸海の枠にとらわれない主力戦闘機作りと、それを主

体にした日本空軍の創設だな。」                        

「はい、主力戦闘機を一元化することで生産性の向上が図れます。これからは、いかに優秀な

戦闘機を如何に大量に作るかが勝利のカギとなるでしょう。」             

加藤が言うと、源田も続けて、                          

「日本空軍として教育の一元化は搭乗員の、質、量ともに大幅に増強できますし今後の作戦に

も陸海の枠にとらわれない柔軟な対応が可能になると思われます。」           

「私も君たちの意見に賛成だ。さっそく梅津将軍に打診してみよう。」          


空軍創設はヨーロッパでの戦闘の評価もあるが、作戦上、空軍支援を如何に効率よく行うかの

点で、陸海両軍の思惑が一致したことで急速に現実化していった。

 

紫電改
主力戦闘機『疾風』が出来るまでの繋ぎとして量産された。
後に龍譲などの比較的甲板の短い空母に搭載された。
疾風
日本空軍主力戦闘機
680キロの速度を誇り、自動空線フラップの使用で巴戦にも威力を発揮した。

日本には航空機産業を手がける三菱、中島の2大メーカーのほかに川西、愛知などの有力メー

カーがあった。

中国戦線の安定化は技術者や設計士など、能力にたけたものたちの帰属を促しどのメーカーに

も、熟練の練達者が所狭しと控えていた。           

また南方から送られる豊富な資源は高品質な機械を生む土台にもなっていた。                
熟練技術者はドイツから送られてくる航空機エンジンを参考に2000馬力級の新発動機の製作

に携わっていた。                              

また、機体関係なども川西が実戦配備した水上機「強風」をもとに製作段階にあった「紫電改

」、それに中島の次期主力戦闘機として開発が進んでいる「疾風」、三菱の「烈風」があった。                                   
艦上戦闘機として期待された「紫電改」は、ほぼ完成の域に達していたが、より強力なエンジン

を積む事になる「疾風」「烈風」が完成するまでのつなぎとして川西を中心に生産が開始された。

 

中島は「誉・ハー45」という小型18気筒2000馬力級エンジンを開発していたが、設計陣は

ドイツからもたらされたターボ・・・加給器に目をつけた。            

高空でも強制的に空気を取り入れて燃焼効率を最大に保つ器機である。        

「誉・ハー45」エンジンは更なる出力アップが計られることになり、当時としては世界最高

水準の発動機として期待された。                        

各社は空軍規定事項に基づき主力戦闘機の発動機を「誉・ハー45改」と定め、エンジン生産

部門に大増産の命令を下した。                        

このエンジンは更に改良を加えられ、攻撃機「彗星」「流星」にも使用されるようになる。

機体はやはりほぼ実用段階に達していた旧陸軍の「疾風」が有力であった。       

三菱製「烈風」もかなり製作が進んではいたが、やや複雑な作りだった事、大型化が祟って不

採用となった。                               

しかし装着を予定されていた自動空戦フラップ、母艦用着陸制動装置などは、「疾風」に移築

される事になり高速戦闘機ではあるが旋回性能もかつての零戦並みと機動性は非常に優れたも

のとなった。                              

また、小型の機体に大出力エンジンを搭載したため、ヨーロッパでの戦訓を取り入れ、余剰の

出力は機体の防御に当てられ、コックピット回りは当然のこと、機体主要部にも強度を持たせ

、高速旋回においても十分耐えられる強靭な機体を手に入れることになる。

 搭乗員訓練は空軍として統一化されるにあたり、旧陸、海軍の区別なく統一科目として航海

航法はもちろんの事、空母発着艦なども教程に盛り込み、すべての作戦において参加可能とな

る訓練を日々行うことになる。                       

昭和18年にはいると搭乗員は戦闘機乗りだけでも12,000名にものぼり、新搭乗員も毎

月補充され、航空機生産が間に合わず、戦闘機に二人づつ乗せるきかと口汚い古参搭乗員は上

官に食って掛かったとさえ言われている。


1
8年6月ついに最新鋭戦闘機「疾風」が実戦配備されるときがきた。           
ここ横須賀航空基地は入梅の季節ではあったが、この日の空は澄み渡っていた。      

「新型戦闘機のお披露目って言うことですが、性能はどうですかねぇ」         「

使い古しとはいえ、俺の手足同然の零戦で一泡吹かせてやる」            

機動部隊配属が決まっている大鳳戦闘機隊隊長 板谷茂中佐は部下のそんなじゃれ事を聞き流

し、東の空に神経を集中させていた。                      

板谷は、中国戦線にて頭角をあらわすとめきめきと腕を上げ、自分の技量のみならず戦闘機隊

の指揮官としても非凡なところを見せ、古参搭乗員からも絶大な信頼を得ている戦闘指揮官で

ある。

まもなく木更津方面から機体受領に向かった飛行隊が爆音を轟かせて上空に現れた。  

野太いエンジン音は零戦のそれとは比べ物にならない力強さを感じる。        

今回受領に携わったのは、笹井醇一少佐率いる第201航空隊の54機。         

笹井は兵学校出身の将校として南方攻略戦に参加したが、古参のベテランの中で未熟な新参将

校として、とかく軽蔑の目で見られがちな兵学校出のなかでみるみる頭角を表し、統率力はも

ちろん、自らも28機撃墜を記録するエースである。             

彼をして、ラバウルのリヒトフォーヘンと異名を取っていた。              

彼の中隊には坂井三郎、西澤広義はじめ、幾多のエースを輩出し旧海軍航空隊中、最強と謳わ

れていた。                                 

疾風隊は、2個小隊を残し、滑走路に舞い降りてきた。                 

やがて西の空に聞きなれた軽快な爆音が近づいてきた。               

零戦の2個小隊である。                             

両小隊は果し合いのガンマンのように二手に分かれると翼を翻し正対した。      

疾風を操るは、笹井少佐の列機坂井三郎と西澤広義の小隊、かたや零戦は杉田庄一、岩本徹三

の小隊である。                                

小隊長を務める4人は文字通り旧海軍航空隊のトップエースであり、幾多の戦いで修羅場を潜

り抜け、撃墜機数はみな50機以上を記録する猛者である。            

坂井の疾風隊は岩田の小隊に突っかかっていく。                  

両者相対速度千キロですれ違うと岩本は操縦桿をぐいと引くと急旋回に移った。   

複雑な機動はまるで木の葉が風に舞うように横転と宙返りが組み合わさる。      

インスメルターン・・・この技を使えるものは世界でもそう多くないといわれている。                                    

中国戦線や母艦搭乗員として幾多の戦線に活躍し、戦場把握術は航空隊随一、必勝と見る戦い

以外挑まない・・・しかしねらいを定めるや確実に撃墜に持ち込むなど、すでに72機撃墜のト

ップスコアを持つ。                            

彼の乗機の胴体は撃墜マ−クの桜で、赤く染まって見えたといわれている。       

一方、坂井も中国戦線からの古参搭乗員として南方方面に進出、笹井隊の2番機として52機

撃墜の個人記録を有する。                           

彼の操る疾風も、自動空戦フラップで急旋回を掛けるが、岩本の技に遅れをとったようだ。し

かし、状況不利と見るや機体をひねりながらも最大速度680キロでダッシュを掛け急降下に

移る。                                   

さしもの零戦も追いつく事ができず新たなるポジションを求めて離脱にかかる。         
次は坂井の疾風が後を取る。好位置を占めた坂井は射撃ボタンに手をかけるが       

零戦はひらりとかわす。しかしこの機動に疾風はすばやく反応した。        

零戦の後尾にぴたりと張り付き旋回をする。

しかしここでも岩本は得意のインスメルターンをやってのける。           

技量は卓越したものを持つ岩本だったがついに彼の零戦は射撃の好ポジションを取る事はなか

った。                                   

圧倒的な速度差(100キロ以上)は如何ともし難く、岩本の技量をもってしても穴を埋める

ことはかなわなかった。                           

坂井の小隊は2、3番機とも追従できたが零戦隊は岩本の飛行術についてゆけず被撃墜の判定

となる。                                  

西澤の疾風は杉田の零戦にいどむ。                        

反航戦のすれ違いを合図にしたかのように両小隊とも巴戦にもつれこんだ。      

西澤は台南空に配属され開戦初頭に初撃墜を記録すると坂井、笹井らと供に、各方面で活躍し、

撃墜記録を伸ばした。                             

技量もずば抜けたものがあり、敵基地上空において連続6回宙返りを披露して敵のど肝を抜い

た逸話の持ち主である。                           

英国のスピットファイアやハリケーン相手にスコアを伸ばし62機の撃墜記録を誇る。  

かたや杉田はこの歳若干19歳と若手ではあったが天才的な飛行センスの持ち主で、みるみる

頭角を表すと南方作戦では単機よく7機撃墜の離れ業を演じるなど空の牛若丸と異名を取った。                                   

きわめて短い期間に撃墜58機を記録する。                    

しかし技量の拮抗する両者の戦いは航空機の性能で優劣が分かれた。          

零戦がどんなに好位置を取ろうとも疾風のスピードは如何ともし難く、自動空戦フラップによ

る俊敏な動きは零戦にアドバンテージを与える事はなかった。          

杉田の技量で何とか被撃墜の不名誉は免れたが、僚機はことごとく撃墜と判定された。  

帰到後、杉田はよほど悔しかったのであろう、すぐさま疾風に乗り込み、この機体でもう一度

空戦をと、上官に懇願したほどである。                     

地上では、歓喜とため息が入り混じっていた。                     

最強と信じていた零戦・・・しかも超がつくほどのベテランが操っているのに、一矢も報いずに

惨敗する様は、見るに耐えなかった。                       

しかし同時に次期主力戦闘機に対する期待は想像以上と、みな奮起したといわれている。  

「長官、予想以上の戦闘機だと思います。隊員の完熟飛行計画を徹底させます」      

空母部隊戦闘指揮官 板谷中佐は同席した機動部隊司令長官 山口多聞中将に誓って見せた                                       
「頼むぞ、成果を期待する」山口もこの戦闘機で敵を撃破できると自信を深めた      

工場において疾風はフル稼働生産体勢には入り、月産500機、後半には700機まで拡大さ

れ急速に体勢が整えられていった。


攻撃機は航空メーカー愛知が機体を担当した。                   

攻撃機彗星は、ダイムラー製水冷エンジンを改良した自社製アツタ32型水冷エンジンを搭載

して誕生した。                               

日本では異色の水冷エンジンのため非常にスマートな機体であったが、国産初の水冷エンジン

という事もあり、故障が続発した。

しかし、ドイツから優秀なメッサ−シュミット109Kに搭載されているダイムラーベンツD

B605DCM1800馬力エンジンを輸入するとあっさりアツタエンジンに見切りをつけ、

ライセンス生産に入り、それを彗星に取り付けた。              

これにより飛躍的に性能は向上し、稼働率は安定した。

時を同じくして「誉ハー45改」エンジンに大型のインタークーラーを取り付け、馬力アップ

を計ったエンジンを搭載した攻撃機流星も開発された。             

彗星より大型化された機体は800キロ爆弾または航空魚雷を搭載し、急降下爆撃、雷撃のど

ちらも可能となるよう設計されている。                    

両機とも、日本航空軍の主力攻撃機として増産命令を受ける事になる。

 


新兵器


配備や生産が、ほぼ安定化してきていた18年10月、空軍予備隊として発足した空軍は正式

に陸、海と並ぶ第3の軍隊として承認された。                  

空軍最高司令長官には発足に功労のあった井上成美空軍大将、参謀長に石原莞爾空軍中将を迎

え、その他航空関係に明るい部員で構成された。                 

創設時は、5個航空団を擁していたが、半年後には8個航空団に拡張された。


主力戦闘機 疾風                                

最大速度 680キロ 武装20ミリ機関砲4門 発動機 誉ハー45改2250馬力

主力攻撃機 流星                                

最大速度 603キロ 搭載800キロ爆弾又は航空魚雷 発動機 誉ハー45改2250馬力

主力爆撃機 彗星                                

最大速度 620キロ 搭載500キロ爆弾 発動機ダイムラーベンツDB605DCM1800馬力

 双発攻撃機 銀河                               

最大速度 612キロ 搭載1000キロ爆弾 誉ハー45改2250馬力×2

 同じく双発攻撃機 飛竜                            

最大速度 580キロ 搭載1000キロ爆弾又は航空魚雷 誉ハー45改2250馬力×2

偵察機 彩雲                                  

最大速度675キロ 乗員3名 誉ハー45改2250馬力

これに少数ではあるが、                             

艦上戦闘機 紫電改・・・甲板が比較的短い空母に搭載された。            

最大速度 596キロ 武装20ミリ機関砲4門 発動機 誉ハー45 2000馬力


局地戦闘機飛燕改                                

最大速度650キロ 武装20ミリ機関砲2 13ミリ機関銃2 発動機ダイムラーベンツ

DB605DCM
1800馬力

 空軍は当初の予定通りエンジン2種、機体7種(紫電改を含め8種)にしぼり、ひたすら増

産に精力をつぎ込むことになる

 

彗星
艦上爆撃機 ダイムラーベンツのエンジンを積み稼働率が大幅に改善された。
流星
艦上攻撃機 魚雷攻撃に加え急降下攻撃も行なえる優秀機
彩雲
艦上偵察機 高速をもって強行偵察、電探による警戒も行なえる。
飛燕改
制空戦闘機 同じくダイムラーベンツのエンジンを搭載する快速戦闘機
飛竜
陸上攻撃機 大型の攻撃兵器を搭載できる。マリアナ海戦では特殊爆弾を搭載
銀河
陸上攻撃機 同じく大型の攻撃兵器を搭載できた。広域探査も行なえる

 

海軍艦艇も豊富な資材に物を言わせて近代化が推し進められていた。

飛躍的に発達したのが対空火器であろう。

これを推し進めたのが島田権道である。

彼は八木右作の発明した電探管制連動の対空防御システムを強く具申し、採用にこぎつけた立

役者である。

欧州派遣団に参加した児玉次郎とも幼馴染のおかげで欧州の対空火器の情報にも精通していた。

当時日本の主用対空火器であった25ミリ機関砲は、防御力の強い米軍機には力不足は否めな

かった。

欧州では日に日に強力化しつつある連合国機に対して37ミリ機関砲を導入していた。

さっそくこれに目をつけた海軍はこれを4連に束ねた機関砲を開発、実用化させた。

また、電探連動装置を取り付けた12センチ高角砲を新たに開発、空からの脅威の楯とした。

この高角砲は極力軽量化が図られ、小型艦でも搭載できるように工夫がなされている。

これらの防空火器も大増産が進められ、すべての艦に標準装備されることになる。

 

 

お披露目の宴

 

昭和18年も押し迫ったころである。

海軍高官の懇親会が開かれた。

といっても、あくまで私的な宴ということで、山本連合艦隊司令長官宅で行われたものであっ

たが・・・

艦隊からは古賀峰一、角田覚冶、山口多聞、航空からは井上成美、石原莞爾が呼ばれ、また、

新設の情報部部長高田利種、財界関係からも三菱、中島などから重役が集まった。

ただ、特別に数名、山本の特命で参加したものも含まれている。

宴は円卓を囲み粛々と行われ、決してドンちゃん騒ぎというものではなかった。

「おい、貴様」「貴様も呼ばれたのか?」

お互い目を合わせ、驚きもし、かつ懐かしく喜び合ったのは、山本長官じきじきに出席を要請

された島田権道と、山口多聞航空艦隊司令長官の片腕として出席するよう要請された児玉次郎

であった。

そして席上、円卓の反対側、財界の中に腰を据えた若き天才、八木右作の姿もある。

偶然の再会に目で喜びを伝え合った。

 

山本長官は宴に当たって切り出した。

「欧州では近々イギリス本土上陸作戦が行われるという情報が入った。

当然米国はイギリス支援のため大部隊を派遣するとのことだが、船団護衛のため太平洋艦隊を

投入して物資輸送に全力を挙げている。

しかし独Uボートの跳梁によってかなりの損害を出しているとの情報もあり、英国陥落も時間

の問題との見方が強い。

対英国戦が一段落したあと、米国はアジアで失った権益回復のため再び太平洋に牙を向く可能

性は高いと判断せざるを得ない。

海軍は全力を持って米艦隊来冠に備えなくてはならないと思う。

我が艦隊及び整備なった航空艦隊は、ここにお集まりいただいた航空メーカーの方々、海軍工

廠のご尽力に堪えない。

そしてもっとも近代戦に必要な電波兵器の開発には八木君の力は非常に大きいと思う。日本全

軍を代表して深く礼を述べたいと思う」

右作は突然のことにびっくりしていたが恐縮した面持ちで俯いた。

「ところで・・・」

山本は急に温和な口調になって左右を見ながら

「ここに同席させた若き士官を紹介しよう。島田権道少佐は私の右腕として大いに期待してい

る佐官である。

新しい艦隊構想を持ち、次世代の海戦を行うための私の知恵袋だ・・・新しい考え方は実にユ

ニークでもあり柔軟である。多い期待している。

そしてもう一人、航空艦隊山口提督の懐刀、児玉次郎少佐。かれは欧州派遣団にも参加しやは

り新しい航空運用を研究している若きホープである。

我々の時代とは明らかに変革している近代戦を戦い抜くには必要な頭脳である。

この両名に先ほどの八木博士・・・君たちは同じ兵学校の同期だったな。

今日は君たちのお披露目の宴である。

これからの日本の先導者として大いに力を発揮してもらいたい」

満場の拍手に大いに恐縮しながらも、この期待に答えるべくいっそうの精進を誓う3名であっ

た。

宴はこれからの日本の行く末に話が移った。

情報部とは米国本国はもとより、欧州やハワイに派遣している諜報員、街の噂、特殊機関員の

情報を統合し、未来にどのような展開が起こるかを予測する部である。

部長高田利種が、現在の情勢の説明に入った。

「欧州連合(ドイツの支配下にある欧州各国部隊)は、昨年4月カレーにおいて手痛い敗北を

喫しましたが、戦力の回復に励み相当数の大部隊をフランスに集結し終わりました。

再び艦砲射撃に現れた英米の艦隊を、今度はドイツ側の航空隊が急襲、かなりの損害を与えた

と聞きます。

この機に乗じて英本土上陸作戦に出る確率は高いと思われます。

英国への爆撃は毎日のように繰り広げられ、英空軍、地上施設は大方壊滅、厭戦気分で英国の

士気が低下しています。

米国の後押しもUボートの攻撃で滞り気味で、もはや英国の命運も時間の問題でしょう。」

「独英戦後、米国は大海にはさまれた形で孤立します。

そんな状況を打開するため、早期に太平洋に進出、日本を潰しにかかってくるでしょう。

現在の戦力比にしても米国は艦船で約2倍、日を増すに従いさらに開き、3年後では10倍を

上回るでしょう。」

高田部長の説明に、一堂は声も出ない。

「来冠予定はいつとみている?」古賀峰一大将の問に、

「独英戦終了より3ヶ月後・・・英に見切りをつけた時点で準備に入ると思われます。

情報部の予測では来年の10月から12月にかけてが有力と考えます。」

しばし沈黙が広がっていたが、まだ大事な取り決めが残っている。

海軍工廠を総括する黒尾 匠大将が意を察したように口火を切った。

「すべての軍艦の近代化改装は順調に進んでおります。

一年の猶予があるならば、ほぼ全艦艇の新兵装は装備を完了いたします。

それに戦陣訓ということで、迷彩偽装も行っております。」

連合艦隊では、島田権道の試案を取り入れ艦隊決戦を新鋭艦で組み、旧式艦は自艦への損害を

受けにくい空母艦隊の護衛任務に特化した改装を与えられている。

そのため右作の開発した対空電探兵装の製造が最優先され、急ピッチで増産されている。

「新造艦も来年には次々と就航します。

改大和型の尾張、紀伊・・・改大鳳型空母、雲竜型空母、装甲巡も定数をそろえられます。」

空軍総監井上 成美大将もつなぐ

「航空メーカーの協力により、生産は順調に進んでいます。

機種を絞ったため効率的な増産が図られ、現航空軍はほぼ定数を満たし、新設部隊の発足を行

っております。南方物資の安定した供給があってこその賜物でしょう」

「ところで、敵はどこに来冠するのだね」

実戦部隊を預かる古賀が、早く話を本題にせよとでも言うように話に割って入った。

「まだはっきりしません。正攻法で来るのならばマーシャルを落とし、フィリピンの孤立を開

放する。

それを足場に内海となった東シナ海を遮断、物資不足に陥れて、日本へと迫ってくるでしょう。

しかし、早期決戦を志向するのなら間違いなくマリアナに現れるでしょう。

なぜなら近年、2000キロを悠々往復できる戦略爆撃機を実践に投入したとのことです。

一気に本土を突けるばかりか、何十万という我が南方派遣軍を死兵と出来ます。

両面に敵をもつ米国にとって、早期決着をつける後者のほうが、可能性があります」

「2倍の敵を撃つのは容易なことではない・・・大和型が5隻になるとしても撃退できるかど

うか・・・」

古賀は決して臆病な提督ではない。

むしろ冷静沈着、かつ正攻法で四つに組む戦いを好む。

だから、蛮勇をやたら口にする指揮官とは違い2対1がどれほどの戦力差か、実感できるので

ある。

「その件に関しては、我が機動部隊との連携なしではありえないでしょう・・・さっそく研究

に入りましょう」

山口多聞航空艦隊指令長官が古賀の不安を受ける。

「研究員にはこの二人を推挙したい。島田、児玉の両名は如何に負けない戦が出来るか草案に入ってもらいたい」

山本長官からの直々の命令であった。

 

宴があけ、提督たちを送り出してから権道、右作、次郎は3人で帰途に着いた。

「こうやって肩を並べて歩くのは久しぶりだなぁ」

懐かしさを口にするが、三人の肩にはずっしりと日本の行く末がのしかかってきていた。

「俺はやるよ・・・長官の好意に答えるためにも、負けない戦を考える」

「あぁ、やろう・・・昔から考えてきた大量の航空機による集団攻撃・・・数の劣勢は俺の研

究できっと補える」

権道と次郎はお互い手を握り合った。

そして右作もそっと二人の手の上に自分の手を乗せ、

「俺ももっと研究して艦隊を守る新型電探を開発する。そのことで何百、何千の命が助かるの

なら・・・」

「たのむぞ、右作!」

3人は固く誓い合った。

夜のとばりが優しく彼らを包んだ。

 

新造艦

戦艦 尾張
世界初50センチ砲8門をつむ超弩級戦艦。
大和級の船体を参考に背負い式に連装法を積んだ。
速力28ノット。同型艦 紀伊
空母 剛龍
改大鳳級の重装甲空母
甲板には500キロ爆弾の直撃にも耐えられるよう装甲が施されている
速力33ノット。搭載機数68機  同型艦 瑞龍

 

昭和19年2月、横須賀海軍工廠で巨艦が産声を上げた。

来月には佐世保においても同型艦が就航する予定である

大和型の4,5番艦として生を受けたが、巨砲主義者の悲願が彼女らを実らせた。

45口径50センチ砲・・・文字通り世界最大にして最強の主砲である。

連装砲塔を背負い式に二基ずつ、8門を搭載する。

艦形は大和型とほぼ同じだが副砲は搭載せず、高角砲がその代用を果たす。

改大和型の一番艦は尾張、二番艦は紀伊と命名されている。

昨年、大和型三番艦信濃が就航しているので、合わせて5隻の世界最強の戦艦を保有することになる。

これに長門、陸奥が加わり日本主力艦隊の中核を構成する。

航空母艦においても新たに、改大鳳型の剛龍、瑞龍、中型量産空母雲龍、天城、葛城、生駒、

笠置、阿蘇が実戦配備されている。

旧式の巡洋艦、駆逐艦、また近代戦では力不足となった金剛級の戦艦は空母を護衛するための

防空艦として、改装されることになった。

新開発の12センチ高角砲、37ミリ4連対空砲、それを管制する電探群・・・これらに身を

包み鉄壁の防御網を展開するであろう。

また、新艦種として、多砲塔艦とでもいうべき装甲巡洋艦を開発した。

発射速度と貫通力に優れた60口径15・5センチ砲を多数搭載し、手数の多さで敵を圧倒す

ることを目的とする。

電探の普及で価値のなくなった利根級の2隻を皮切りに、最上型の船体を利用した白根級4隻

が就航している。

これで空母保有数は26隻、戦艦は15隻をはじめ、多数の補助艦艇を擁した日本海軍は、ア

メリカに次ぐ保有数となり、太平洋の覇者に相応しい陣容を持つに至った。

 

                            
                               

 

 

 

 

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