序章

 

昭和13年5月、久々の休暇で児玉 次郎は故郷に戻ってきていた。

この日は幼馴染の島田 権道、八木 右作も休暇をとって帰郷してきている。

3人は郷里の名士、八木右作の家で酒を酌み交わし、自分たちの将来について語り合っていた。

もともと呉にほど近い漁村の出であったため、3人とも海軍を目指し

昨年、兵学校を卒業、おのおのの勤務先で将来を嘱望されていた。

 

「一年ぶりだなぁ、兵学校卒業以来だが、その後はどうだ」

次郎は親友でもある権道に仕事ぶりを尋ねた。

「おう、今は艦隊任務で戦艦陸奥に乗っている。まぁ同僚の中ではいいほうだ」

「確かに・・・貴様は首席卒業だからな、エリート街道まっしぐらだよ。将来は連合艦隊

司令長官になるかもしれんなぁ」

右作が横槍をいれた。

「何を言う、貴様こそ恩師の剣組なのになぜ海軍を抜けた?」

「俺はやりたいことがあるんだ、叔父の研究には子供のころから妙に興味があってな。

そのうち貴様らがびっくりして腰を抜かすものを造って見せてやる」

八木右作の叔父は八木アンテナの創始者八木秀次である。

彼は幼いころから叔父の研究所に出入りしながら、その発明に感嘆し、何かと叔父の手伝いをし

ていた。

また叔父も、右作の才能を見出し弟子として信頼をおいていた。

兵学校は出たが、その才能は師匠をはるかに凌ぐといわれるほどの天才青年であった。

「ところで貴様は何であんな部署を選んだのだ?」

権道は児玉次郎に向き直って聞き返した。

「これからは航空機の時代だからだ。戦艦はいつか限界が来る。

大砲はどんどん大口径で威力を増すものが出てくるだろう。その都度船体はでかくなり

装甲も厚くなる。その結果、必ず限界に達するはずだ。

その点飛行機はこれからだ、まだまだ発展する余地があるし、いつかは戦艦にとって代わ

って海の主力になる!」

「貴様は現実的だったからなぁ、しかし飛行機乗りにはならなかった・・・」

「俺は航空部隊を指揮したいのさ・・・それが夢だ・・・」

児玉次郎は航空艦隊の若手士官として、山口多聞少将に目をかけられていた。

幼いころから空を自由に飛ぶ飛行機に憧れ、いつかあれを操縦してみたいと思った。

しかし今は、より強力は飛行機をより大量に戦線に投入したらという研究に没頭している。

そんな斬新な発想が山口に認められたのかもしれない。

 

「なぁ、いいものを見せてやろうか・・・」

酔いも大分回ってきたころ、右作は自慢げに幼馴染を奥の自室に招いた。

そこには黒いシーツをかけられた一台の機械が置かれていた。

「叔父の発明を参考に俺が開発したものだ。まだまだ試作品だが腰を抜かすなよ」

右作は電源のスイッチをいれた。

モーターのうなる音が聞こえ、ガラスがはめられた箱が発光する。

するとそこにはおぼろげながら右作の庭先に置いてある石の灯篭が浮かび上がってきた。

「灯篭に強力な電波を当てている。その反射波を集積してこの箱に形を映しだすのさ。

帰ってくる波長の長さ、方向で正確に距離も割り出せる」

二人は仰天すると同時に右作ならさもあらんと、その天才的な発明に感嘆した。

「これを利用して凄いものを作る・・・

今は言えないがそのうち戦い方が一変することになるぞ。くれぐれも口外しないでくれ。

ある方から厳命されているのでな」

二人は生唾を飲み込むと、顔を見合わせ頷いた。

その後もお互いの苦労話に花が咲き、朝方まで酒宴の席は続いた。

短い休暇はまもなく終わり、それぞれは自分の勤務地に帰還していったが

将来を担う若者たちの夢は現実味を帯びて後の戦いに大きく影響することになる。

 

 

ソヴィエト崩壊

 

1941年6月、満を持してドイツ軍によるソビエト侵攻、通称バルバロッサ作戦が発動

された。

奇襲に近い形で行われたこの作戦で、ソビエト軍は、瞬く間に壊滅、ドイツ軍はまさに無

人の野を行くがごとくの快進撃で、ロシア平原の奥ふかくまで侵攻した

ソビエト軍は、スターリンの大粛清により大幅に優秀な人材に欠乏していた。

また粛清に生き残った高級将校や中央党員も、敗戦につぐ敗戦の責任を取らされて、

いつ処罰されてしまうか戦々恐々の思いを抱いていた。

しかし、その懸念は唐突に終わる事になる。

8月6日、戦争の行方より自分の保身を考えたある高級官僚及び、軍人により

スターリンは暗殺されることになる。

求心力を失った赤軍は、あっという間に瓦解し烏合の衆と化してしまった。

スラブ民族の殲滅を夢見ていたヒトラーにとっては、またとないチャンスだったが、

新たにソビエトに発足した暫定政権は、戦争終結に殲滅よりも

はるかに魅力的な停戦講和条件を提示してきたのである。

まさにそれは、売国に等しい内容のものであった。

自分の生命と財産を守るためには国家の利益など顧みない

愚鈍な官僚主義の結末であった。

国境から100キロ圏内のドイツへの割譲、コーカサスの油田、及び鉱石の発掘権

穀倉地帯からの無償提供を承認するかわりに

現政権の保持を確約するとともに恒久的な不可侵条約を結ぶというものであった。

ヒトラーにとって無尽蔵の資源以外にまったく魅力のない土地に

固執する必要はなかった。

ヒトラーの決断は早かった。

さっそく条約の取り交わしを行うのだが、これを後の世界制覇のプロパカンダに利用したのである。

両国の永久的な平和と、共に世界の覇者にならん事を・・・。

ヒトラーはさっそく軍を解体し軍事顧問団のもと再編を行った。

粛清によって優秀な人材が欠乏していたソビエトはなんら抵抗することなく

ドイツの隷属国家に成り下がってしまった。

 

「ソビエトが崩壊したというのは本当か!」

「スターリンの死で、自己崩壊してしまったらしい・・・なんとあっけない」

「これで盟友ドイツは、アジアを除くユーラシア大陸を手中に収めたことになる」

大本営ではドイツの勝利に沸きかえったが、今こそ大陸進出論を振りかざす陸軍と、

南方資源確保と磐石の持久力をつけて千年国家を目指す海軍とで意見が紛糾した。

そんなさなか、国民党軍率いる蒋介石が、

弱体化する毛沢東の共産党軍を完全に殲滅するため、

満州国を容認する代わりに停戦を申し入れてきた。

もちろん中国にある列強の租借地を返還させるため共同戦線を張ることも

条件にいれてだが・・・

アジア人によるアジアの民族的独立・・・

大東亜共栄圏思想が再び現実味を帯びてきたのであった。

一時的にも安定化した日本の最前線のため、過剰に戦力が余り始めた陸軍は

師団運営に苦労し始めた。

そんな台所事情も重なり、政府は優秀な技術者や科学者、特殊技能を身につけているもの、

知識人を中心に除隊を進めたおかげで、国内産業の精度や技術力が大幅に上がるという

皮肉な効果を生んだ。

繊細な感性を持った民族による精巧な機械製品の開発、生産化の開花である。

 

電探

 

八木右作の研究所にも多くの工員や研究者が戻ってきていた。

「赤紙一枚で優秀な人材が二等兵で招集されてしまうなんて、大変な国家的損失だった。

あと二年早く除隊命令が実現していたら、この研究も完成度が増したんだがなぁ。

しかしドイツの勝利が日本の産業開化を生むとは皮肉なものだ・・・」

右作はベテラン研究員の顔を眺めて悔しがった。

右作はここ数年、研究に没頭していたが、叔父の八木博士の研究をさらに発展させ、

自らが開発したモニター投影機と合体させた画期的な電探開発を完成させつつあった。

世界のどの国も成し遂げていない新技術・・・

個人レベルではあるがこの時点で探知能力は日本が頭ひとつ抜きん出ていたのである。

 

遡ること昭和15年4月、北海道沖において、右作の開発した電探を試験的に戦艦日向に

装備し、極秘裏のうちに射撃演習が行われた。

                               
濃霧のなか行われた演習には、実験段階ではあるが、選び抜かれた部品で作られた電探が

搭載され、有視界測量による射撃との優劣を検証した。               

なんせ濃霧であったので、有視界ではまったく目標を捕らえられなかったのに対して、芸

術品と呼ぶにふさわしいこの試作の機械は、目標をその受信機に映し出していた。    

「打ち方始め!」・・・投影された目標に発射された弾は初弾命中とは行かなかったもの

見事に目標を夾叉した。                             

監視員の話でもこんな無視界状態で有効弾を送り続ける演習は見たことがないとの報告も

入っている。                                  

研究班員の一人として戦艦日向には、大尉に昇進した島田権道の姿もあった。     

同じく乗り合わせた右作に権道は耳打ちした。                  

「貴様の才能にはほとほと感心させられる。今日の成果は山本長官もお喜びになるだろう

・・・」                                    

「権道、お前覚えているか?俺の作った投影機・・・実は電探と投影機を合体させてより

すぐれた機械を作っている。もっと凄いぞ、みんな腰を抜かすかもしれん」      

右作は一人ほくそ笑んだ。                            

日向艦上では実験の成功に皆喚起していた。                    

実験は数十発に及んだが結果は有視界とは歴然としていた。             

まもなく海軍は全艦艇に電探の装備と、研究所には更なる能力向上を命令したのである。

 




T−34
ソヴィエトの主力戦車
75ミリ砲を搭載し、走攻守に渡り非常に優れた性能を有していた。
V号戦車
ドイツの主力戦車
37ミリ、後に50ミリ砲を搭載。電撃戦の立役者だった。

アメリカ参戦

1941年9月、ソビエトの軍解体、再編成にあたっていたドイツ国防軍首脳の前に、一

台のソビエト新型戦車が披露された。
 
                                    

「凄いものだな、わが軍の主力3号戦車を、走攻守すべてに上回っている」
          

「工業力もだ。無尽蔵と思えるほどの資源と人員、これが総動員されていたら我らとて本

当に勝利できたかどうか・・・。」
                                        

「本当に・・・。おろかな指導者のおかげだな」
                               

ドイツの首脳を感嘆させた兵器・・・T−34である。
                         

ドイツの隷下となったソビエトではあったが、その工業力に脅威を感じたヒトラーは、す

べての重工業産業をドイツの指揮下に置くと共に、新たな共通の敵イギリスに国民の目を

向けさせるため、主要兵器の西部戦線への移動、新編成なった部隊より逐次西方への輸送を

行った。
                                                        

ソビエトの陸軍力を手に入れたドイツ国防軍は、一気に3倍の戦力に膨らんだ。
       

イギリスの命運は、アメリカの全面軍事介入以外その生存の道はありえなかった。

世界でも中立を保ちながらも着々と力をつけてきたアメリカではあったが、ついに戦争介

入の否かを国民に問うときがやってきた。
 
                               

「遠いアジアより同盟国イギリスを助けることのほうが最優先だろう」        

「アジアでは、日本を中心にした民族解放運動が盛んになってきている。        

今のうちに手を打たねばアジアにおけるわが国の権益が脅かされる危険がある。」    

「今のところアジアでの権益を失しないつつあるのはヨーロッパ諸国である。     

フィリピン、グアムに、数個師団を派兵して専守に務めさせ、その間にイギリスの支援を

行っては・・・」                                 

「支援だけでは済まぬのではないかね」                         

米国議会は混迷を極めたがイギリスを失うことは世界から孤立することになる。    

世界の覇権を狙うアメリカにとって、非常に望ましくない情勢となる。         

ルーズベルトは決断した。                            

「ニ方面に戦火を開く事は出来ん。アジアの猿どもなど放っておけ。          

後でいくらでも料理できる。                           

それよりも、助けを請うものに恩を売ったほうが世論は高まる」            

あくまでも自分の支持率が気になるルーズベルトは世界の救世主を気取るがごとく、英国

救援を名目に世界戦に参戦することを決定した。                             
1941年11月、アメリカはドイツにイギリスの援助を名目に宣戦布告した。


日本においても今後の戦略に関して議論か戦われていた。              

「アメリカがドイツに参戦したということは共通の敵を持ったということじゃないかね」

陸軍大臣を兼任する首相東条英機はいきまいた。                  

それに対して米内光政海軍大臣は「米国を敵に回すのはいかがなものか・・・たとえ将来

敵になるとしても時期尚早である。                        

南方資源地帯を確保し、磐石の継戦態勢をとってこそ決戦に耐えられるものと考える」  

東郷外相が米内の意見に賛同を示した。                       

「今、アジアをめぐる情勢は民族自立運動というよりもアジア人としての独立を掲げてい

ます。蒋介石も共産軍討伐を目指していますが、アジア人構想には、肯定的との意思を聞

いております。

今こそ弱体化した仏印、オランダ領インドネシア、さらに英領インドの解放を名目に軍を

進駐させ、南方資源確保を目指すのが得策かと考えます。」                                  
「米領フィリピンをどうするんだね!東シナ海を運行する輸送部隊にとって匕首をつけら

れているようなものだ!」東條は反論したが、海軍三権職のひとつ連合艦隊司令長官山本

五十六が意見を述べた。           

「米国はなるべく2方面作戦をしたくはない・・・フィリピンにはマッカーサーの方面軍

が増強されていますが我が軍が参戦しなければ彼らとて手を出すわけには行きますまい。                       
手を出せば宣戦布告は米国側から・・・米国の正義は、あくまでもほほを殴られたら正当

防衛をもって殴り返す。                              

つまり手を出さなければ出すことが出来ない。アジアにおけるフィリピンという権益を自

ら手放すことはない。彼らは手を出さないでしょう」                 

議会は数日に及んだが結局、大東亜共栄圏樹立の名目で基本構想か確立、          

一気に南方資源確保とアジアの開放を目指し大部隊の派兵を決定した。

「いよいよ始まるぞ・・・」                            

「うむ、俺のところでも山本長官は決断なされた。南方に向けて陸軍の大部隊が進駐する


その護衛のため艦隊を投入する計画になっている」                 

出世頭でこのたび第一艦隊作戦参謀で少佐に昇格した島田権道が小声で耳打ちした。  

開戦やむなしとなったこの時期、久々に休暇で戻ってきた権道、同じく航空部隊の参謀を

拝命した児玉次郎が八木右作の屋敷で酒を酌み交わしていた。            

「俺も近々、極秘任務で欧州に派遣されることになった。どうやらドイツが対イギリス戦

で日本に支援を要請してきたんだ。シベリア鉄道が陸路で満州、ベルリン間を結んでいる。

これを使って、大規模な相互武器支援を実施することになった。            

バトルオブリテンで大敗を喫したドイツが航続距離の長い零戦の供給を求めているんだ。

その代わりドイツの先進的レーダーシステムを導入することになっている」      

「俺もその話は聞いている。強力な電探は開発したが、それをどう管制するか・・・よう

やく俺の研究も大詰めになってきた」                          

やはり少佐に昇格した児玉次郎の情報に右作は感慨深く答えた。「しばらくは戻ってはこ

れないかもしれんが右作よ、貴様の研究のおかげで艦艇の索敵能力は大幅に向上した。投

影機付の新型電探も大型艦を中心に配備されつつある。」              

「今わが社では電探と連動して射撃を行う装置も開発しつつある。これが装備されれば防

御能力も格段に上がるぞ!」                            

「期待してるぞ、右作」権道は、右作に近寄り熱く手を握った。            

任せておけ。次郎、貴様にはドイツの管制システム、一刻も早く入手してくれ、俺の研

究も帰結するときが来る。」                           

「おう、心得た!」三人は互いに手を握り合い、お互いの健闘をたたえた。        

彼らの宴は夜を明かすまで続いた

 

「こんな命令があってたまるか」キンメル太平洋艦隊司令長官は憤慨のあまり机を何度も

叩き続けた。                                  

ルーズベルトはドイツへの参戦を決定、イギリスへの輸送船団護衛をかねて、太平洋艦隊

のほとんどを大西洋に回航することを決定した。                  

「長官、国家の戦略的決定です。我慢してください」                 

「そんなことできるか!私の艦隊を取り上げられてしまうんだぞ!一隻でも失うことがあ

ったら大統領といえどもただでは済まさん!」                   

キンメルの怒りは止まるところを知らなかった。                  

太平洋艦隊は7隻の戦艦、3隻の空母を中心に合衆国艦艇の半数が配置されていた。   

如何に豊かな国力を誇るアメリカであっても、欧州全域を束ねるドイツ枢軸艦隊を相手に

大西洋艦隊だけでは心もとなかった。                       

盟友イギリスも大艦隊を有するとはいえ、旧式艦が多く戦力不足はいがめない。     

リスクとは知りながらも、全力を持って大西洋の脅威にあたらなければならなかった。  

キンメルは依然太平洋艦隊司令長官ではあったが手持ち戦力は駆逐艦数隻と補助艦艇、そ

れに潜水艦部隊しか持ち得なかったのである。                   

太平洋も戦力均衡は大きくバランスを失うことになったのである。

 

南方進出

昭和16年12月10日、日本は太平洋の戦力的空白をついて、イギリス、フランス、オ

ランダに対して宣戦布告、中国国民党軍と共同して中国各地に点在していた各国植民地を

解放するため進撃を開始した。                              
また中国各地から撤兵した陸軍をインドシナ及びインドネシアに展開させ、植民地軍を次

々に破っていった。                              ま

さに破竹の勢い・・・英国の根拠地シンガポールも瞬く間に陥落、インドネシアの資源地

帯もほぼ2ヶ月間で確保に成功した。                      そ

の間、フィリピンの在比米軍を極力刺激しないよう細心の注意を払って輸送任務に当たら

せたが、たとえ米軍と戦闘状態に入っても戦火を開くことはマッカーサーにとっても自殺

行為に値する。                                太

平洋艦隊の消滅に伴い補給のなくなった在比米軍は自給自足にてこの難局を乗り切るのが

精一杯だったからである。                           し

かし順風満帆に見えた作戦経過であったが、ビルマ近郊で起こる空中戦がきっかけとなり

、大きな転機を迎えることになる。                        

米軍は正式な参戦こそしなかったが義勇軍を積極的に募り、対日反抗の先鋒として送り込

んでいたのである。

 




1式戦 隼  日本陸軍戦闘機
扱いやすさ、長大な航続距離をかわれて採用されたが武装が7.7ミリと貧弱であった。

ビルマの悲劇

昭和17年1月・・・湿度のせいであろう・・・薄く靄のかかるジャングル上空を         

二個中隊24機の隼が西に向かって進撃していた。

「隊長、今日は敵さんの数が多いですな」大谷大尉が                         

その頃ようやく精度の上がってきた隊内無線を通じて加藤健夫部隊長に話しかけた。
    

今日の敵はアメリカ義勇飛行隊、通称フライングタイガースである。
              

「強敵だぞ、各自心してかかれ!」
                                     

第64戦隊、通称加藤隼戦闘機隊はこの年ビルマのアキャブに進出、地上軍の支援を兼ね

て制空任務についていた。
                                            

本国がドイツに侵略されそうな今、イギリス軍が極東の植民地に
                   

兵力を割くわけには行かず、次々と後退をしていく中、
                        

半ば賞金目的の義勇軍、フライングタイガースが抵抗の主力となっている。
          

彼らの乗機はP40ウォーフォークである。
                               

速度は隼より早く機体も頑丈だったが、旋回性能が劣り巴戦になると隼の敵ではなかった。

彼らは、思い思いのマーキングを施し、なかでも機首ラジエーターに画かれた
            

大きなシャークマウスは、自らの恐怖心を打ち消すかのようにひときわ派手に画かれて

いる。
                                                          

強敵とはいえ、何度も手合わせをして要領を得ている。
                        

よほどの事がない限り負けるはずはなかった。
                             

しかし、この日は少しばかり勝手が違っていた。
                            

「部隊長!後方に大型機2機を伴っています。」第一小隊の隊長を務める黒江中尉からの

進言。
                                                         

第一中隊はこのまま敵戦闘機隊へ、第二中隊は後方の大型機をやる」
                

加藤は即座に攻撃目標を支持すると自らは第二中隊とともに大型機攻撃に向かった。
    

早くも第一中隊は、敵との格闘戦に入っている。                   

中隊長の黒江は中国戦線を戦い抜いてきたトップエース、抜群の空戦技術もさることなが

ら統率力にも長け、万が一にも不覚をとるようなことはない。
                    

加藤は敵の大型機に神経を集中した。
                                   

間違いない、あれはアメリカ陸軍のB−17フライングフォートレスだ。目的はアキャブ

の空爆だな」


とっさに見抜いた加藤は小隊ごとに攻撃を開始させる。
                        

定席どおりでは爆撃機の後方上空より連射を浴びせエンジンを射抜く戦法だ。
         

数機が射点にたどり着き、照準をあわせたそのときに悲劇は起こった。
             

大型機の上部や側面が真っ赤に染まったかと思うと太い火線が、今まさに射撃体勢に入っ

た隼に吸い込まれた。
                                               

強力なブローニング12.7ミリ機銃弾をくらった隼はいとも簡単に空中分解して果てた。

味方の悲劇にひるむ事もなく2番機、3番機が銃撃を敢行する。
                  

機銃弾は狙いたがわずエンジンに、胴体にと吸い込まれたが火を噴く気配もない。
      

逆に敵の機銃弾を受けるとあっけなく空中分解をして墜落していく。


「化け物か、あいつは!」加藤ははじめて手合わせをしたB−17に毒づく。
          

何度攻撃をかけようと火を吐くどころか煙さえ上げられなかった。
               

「ならば・・・」加藤は敵前面に機体を滑り込ませるとコックピットを狙って引き金を引いた。

か細い隼の火線と太いB−17の火線が交差する。
                          

確かに加藤の放った7.7ミリ機関銃弾はコックピットを捉えて何らかの被害を与えたと

思うが致命傷にはならず、逆に敵の火線が加藤機を捕らえコックピットに飛び込んだ。  

加藤は右足を射抜かれ、激しい苦痛にもだえる。
                              

朦朧とした意識のなかで、悠然とアキャブの飛行場に爆撃を敢行するB−17の姿が目に

入った。

                                                                 「部隊長、部隊長!」彼は自分を呼ぶ部下たちの声で、意識を取り戻した。            

「俺は生きているのか・・・」
                                           

加藤はほとんど意識を失いつつも長年培われた、戦いからの帰巣本能だけで基地に戻って

きたのだ。
                                                       

「ご無事で何よりです」黒江がいうと、部下からも歓喜の声が聞こえた。
             

「戦況は・・・?」苦痛に顔がゆがみながらも戦況をきくと、
                     

「完敗でした。かろうじて、このアキャブ飛行場の完全破壊とまでは行かなかったものの

爆撃を許してしまいました。                           

第一小隊は3機の未帰還機を出しましたが、10機撃墜確実未確認2の戦果を上げました。


しかし、第2中隊は7機が撃墜され2機が帰投後、廃棄となりました。          

それに・・・それに、部隊長!」
                                         

なかば泣き声に変わる黒江の顔お見て、加藤は悟った。
                        

右足に受けた銃弾は加藤の足を膝下から吹き飛ばし、さらに左の腕の肉までも削ぎとって

しまっていた。
                                                  

もはや飛行機乗りとしての生命は絶たれてしまったのである。
                       

貧弱な武装、脆弱な機体では、これからの戦いには勝利はつかめないことを、身をもって

実感した。
                                                      

加藤は、また意識を失った。                            

米国義勇部隊、または英国新鋭機スピットファイア相手の戦闘は日に日に苦しくなってき

ている。                                    

日々発展する敵新鋭機に、日本戦闘機隊は強力な新鋭機の投入が急務になってきていた。

 


零式艦上戦闘機21型
日本海軍主力戦闘機
20ミリ機関砲と長大な航続力を有す代わりに脆弱な機体は防御力の無さを露見させた。

メッサーシュミット109E
ドイツ主力戦闘機
高速重武装の戦闘機であったが、航続距離が短かった。

欧州派遣団

 昭和17年2月、ここ満州はいてつく寒さに、大地が凍りついていた。                     

児玉次郎は特命を帯びて欧州派遣軍の参謀として、団長源田実大佐の配下に任命され、赴任してきた。                                                        

「君が山口多聞提督の懐刀、児玉少佐だね。噂は航空主兵主義の者には広く伝わっているぞ!」源田

は着任早々の次郎に向かって、親しげにに話しかけた。                      

「恐れ入ります。最善を尽くします」                                      

源田実は機動部隊の航空参謀として、かなり名を馳せた人物だったが、このたび欧州派遣軍の団長を

拝命しシベリア鉄道に乗り込んでいる。                               

その屈託のない性格に次郎も好感を持っている。                            

 彼らの任務は、ドイツの要請のもと実施されるが、交換条件として導入する兵器を持ち帰るという重要

な任務も背負っていた。                                         

 長く伸びた貨車には何両もの機関車が接続され、武装された装甲列車も連結され、その規模と重要性がうかが

い知れる。            
                                 

貨車には日本海軍の誇る新鋭戦闘機、零戦
21型が50機、陸軍1式戦闘機隼が40機、そ

れに整備担当、航空指導の士官がそれぞれ同乗していた。               


1
940年、ドイツはイギリス上空において第一次バトル・オブ・ブリテンを繰り広げた

が、ドイツ空軍は多大な損害を出して、作戦を中止せざるをえなかった。    

当時、最強を誇ったドイツ空軍は質、量ともにイギリス空軍を凌駕していたが 主力戦闘

機、メッサーシュミットEタイプは航続距離が600キロと短く、イギリスから最も近い

フランスの飛行場から飛び立ってもロンドン上空では、最大15分しか滞空できず、その

前に戦闘がおきれば爆撃機の護衛もままならなかった。          

イギリス空軍は2段構えで、ドイツ戦闘機隊が引き付けたあと、爆撃機を、鴨を打ち落と

すがごとき容易さで次々と撃墜していった。                     

ついに、あまりの損害の大きさにイギリス本土の空襲は無期延期となったのだが、戦闘機

の航続距離不足が最大の敗因であったのは明らかだった。              

昭和16年初頭、重慶に向けて日本軍の爆撃が敢行されたおり、時の海軍最新鋭機零戦が

センセーショナルなデビューを果たした。                     

長躯、爆撃隊を護衛したばかりか迎撃に上がってきた中国軍I−16、27機を、瞬く間

に撃墜、自軍の損害0に抑えたのである。                       

噂は若干の尾ひれがついてヨーロッパにも広がった。                

ソビエトが崩壊し枢軸国軍の傘下に入ると、宿敵イギリスを打倒するのに、長い航続距離を

持つ零戦にヒトラーが興味を示さないはずはなかった。               

安定化したユーラシア大陸を横断するロシア、シベリア鉄道を使っての東西の交流が現実

味を帯びてくる。                                

ヨーロッパでは定石となった電波技術や、対空兵器、水冷エンジンの輸入の見返りに最新

鋭戦闘機零戦21型や隼の提供はお互いの利益に添ったものだったのである。     

その後数次の供給を持って、戦力が定数を満たしたころ、第2次バトル・オブ・ブリテン

が開始された。                                 

ドイツ空軍の傘下に入った、零戦や隼は当初、期待以上の働きを納めたが問題がなかった

わけではなかった。                                

高い運動性、長大な航続距離は目を見張るものがあったが、防御力が皆無に等しい両機は

、弾を喰らうと簡単に炎上した。

また、脆弱な機体は被弾後、機体がバラバラになってしまうためパイロットの生還率が著し

く減少し、ドイツパイロットから嫌われた。                     

源田 実ヨーロッパ派遣団々長は、困惑の色を隠せなかった。             

次郎も日本の最新鋭戦闘機が、日に日に損害が増大する現実を目の当たりにして、自分が

確立しつつあった用兵に自信が揺らぎつつある                   

確かに日本において、中国を相手取る零戦や隼は、無敵を誇るといっても過言ではない。 

ヨーロッパにおいてもイギリス軍主力のハリケーンやスピットファイヤーMK1には互角

以上の戦いをしていた。                             

しかしそれは、巴戦に持ち込んでの話であり、一撃離脱が主体のヨーロッパの航空戦にお

いては、苦戦をする事もしばしばであった。                      

ましてや、高速戦闘になれたドイツパイロットたちには巴戦はなじみが薄く、悪評に輪を

かけてしまっている。                              

隼に至っては、火力が7.7ミリ機関銃2門では、敵機を撃墜する事は出来なく、ただ飛ん

でいるだけと酷評をつけられてしまった。                     

しかし源田や次郎の心を突き刺したのは、ドイツ航空総督官メルダースの一言であった。

「何故、貴官の国では、主力戦闘機が2種類あるのだね?それにまったく違う操縦術を身

につけなくてはいけない。                             

貴国のパイロットは、両方をマスターしなければいけないのかね?」・・・と。       

当時、ドイツは3軍を擁していた。陸、海、それに空軍である。             

日本において航空隊は陸か海軍のどちらかに所属しており、各々の作戦のおりに航空支援

を行っていた。                                 

共同作戦を取る事は非常にまれで、作戦地域も分担され境界線での戦闘になるとしばしば

分担のやり取りで確執も生まれたりしていた。                   

それに比べ、空の戦いを空軍に1本化したドイツは陸海の区別なく支援作戦を行へ、近代

戦では非常に理にかなった体系となっている。                    

日本空軍・・・源田の心には、将来の構想がふつふつと湧き上がるのであった。       

3
ヶ月のヨーロッパへの輸送を経てその後の零戦はすべてキャンセルとなった。      

ドイツにおいて、航続距離の長いフォッケウルフ190A−3が完成、         

配備された事にもよるが、実質的にはヨーロッパでは力不足と判定されたためであった。

日本軍部の落胆はすさまじいものがあったが、次期主力戦闘機の開発は急務となった。  

日本に戻ると源田大佐は航空本部に出頭、事態の報告をするとともに、日本空軍創設のシ

ナリオをぶちまけた。                              

次郎も元の機動部隊に戻り山口提督にことの顛末を報告した。            

山口提督は我が意を得たりとでも言うように、終始笑みを浮かべて次郎の報告に耳を傾け

ていたという。


フォッケウルフ190A
ドイツ制空戦闘機
ドイツでは珍しい空冷エンジンを搭載する。
非常にバランスの取れた優秀機










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